「名札の夢」に自分の夢を置き換えられるな!

「夢」とは何だろうか?

宇宙飛行士、スポーツ選手、科学者など職業を思い浮かべるのが自然だが、それは夢ではなくあくまで手段だ。

 

どういうことか?

「夢」は最終的に達成する1つの目的のことだ。

例えば、北海道へ行くという目的があったとして、飛行機で最初は行こうとしていたが、状況が大きく変わり、結局新幹線で行くことになったとする。この場合、夢は「北海道に行くこと」だ。そして、飛行機と新幹線が手段。

 

夢とは、あくまでその最終的に到達したい場所や状態のことを指すもので、基本的には絶対に叶えられないということはない。

 

自分の例をあげると、高校受験時代、自分の目標は京都大学総合人間学部に入って遊びまくることだった。大学・学部選択の理由は、そこが最も学力が高くて遊べる環境だと確信していたからだ。

努力を重ねて全力を尽くしたが、結果的に落ちてしまい、神戸大学後期で引っ掛かり、最終的にそこに落ち着く。最初は絶望だった。自分の何度も思い描いた大学生活の場所は京都だったからだ。神戸の山奥ではなかった。

しかし、結果的に大学卒業時には最高の満足感を感じながら終えることができた。

理由は、「大学で思う存分遊びまくれた」からである。

結局、この場合の自分の夢は「京大に入ること」ではなく、「大学で遊びまくる」ことだったのだ。

 

夢を達成するためにそれを満たすためのやりやすさは選ぶ手段によって変わる。

先ほどの北海道に行く例を再び持ち出すと、飛行機と新幹線なら、だいたいの場合飛行機の方が早くて便利だ。しかし、飛行機で行けなくても北海道に辿り着くことは可能なのだ。新幹線でなくても、時間さえかければ車でも、自転車でも、時間があれば徒歩でも気合いで頑張れば到達できる。時間がかかることは確かに損かもしれないが、夢を達成することが本質的な価値であれば、優先順位は「1番」ではない。

 

宇宙飛行士になりたいという夢を叶えられなかった人は夢を叶えられなかったのだろうか?

そうではなく、最も大事なのは宇宙飛行士という職業になって「何をしたかったのか?」である。どんな価値を誰に提供したかったのか、もしくはどんな感情を自分で感じたかったのか。それが本質的な夢であると思う。

 

子どもの不幸は、小学校の時などに「職業」が夢であること、高校の時などに「良い大学」が夢であると暗に理解させられてしまうことだ。

大きな失敗をすれば、それはどうやら違うのではないかという思いが生まれたりもするのだが。

 

いろいろ書いてきたが、結局言いたいことはタイトルの通り、他の人に説明する時にわかりやすい名札をつけて夢を語るが、いつの間にかそれが独り歩きしてしまい、それがあたかも夢(最終目的)であるように自分に迫ってくるようにならないように気をつけることだ。

夢を自分のコントロール化に置くこと。

夢に自分を支配されてしまわないこと。

これを忘れなければ、日々は楽しく過ごせると思う。

 

ちなみに自分の夢は、人生を味わい尽くすこと。結局こういう抽象度の高い言葉に落ち着いてしまうので他者からは理解を得られにくいのだが、自分の中で自分の正解は何か掴んでおくこと(仮置きでも良い)が大切だと考える。