ノブレス・オブリージュ
高貴さには義務が伴う。
自分の地位の責任の重さを自覚する。
今日は貞幹政要を読んだ。
あまりぴんと来る部分はなかったが、本まとめをしていた時に先の言葉を見つけた。
自分の地位?
いや、自分はまだそんな大層なもの持ってないよとつい考えてしまいそうになるが、それは違う。
自分がこれまで歩んできた道を振り返れば、
・将棋で全国優勝
・北野高校合格
・国公立の神戸大学卒業
などそこそこの成績を残してきた。
地位ではないが、自分で残してきた成果があるということは、それまでにその成果を得ようとしたが結果得られなかった人たちを踏みつけてきたということだ。
神戸大学に合格した時の絶望感、こんな大学には行きたくないなどと思っていた過去の自分は今から冷静に考えると神戸大学を目指していたが落ちた人たちに対して不敬極まりない。
自分が今立っているこの場所に改めてしっかりと責任を持つ。
RADWIMPSの夢番地では、君が立っているその場所は他の人の夢なんだといったメッセージがあるがそれにも通ずる部分がある。
貞幹政要や孫氏など、古の書には、偉人たちの地位に対する義務感が綴られている。その義務感こそが彼ら高貴な者たちを高貴あらせしむのではないかと思う。
自分が頑張って努力して得たこの成果は自分のものだ!
誰に何を言われようと知ったこっちゃない。
という思考を高校卒業の時まで続けていた自分は競争主義にのめり込み過ぎた成れの果てだった。
京都大学に合格していたらそんな人間になっていたと思うと、神戸大学へ進んだ果ての今の自分になれて良かったと思う。
自分が頑張って得た1つの結果も実はそれを追い求めたたくさんの挑戦者がいた。その人たちの分も頑張るという訳ではないが、自分が得たある一定の地位に対する責任を感じて、その地位に相応しいような行動を心がけていくことが求められていると思う。
自分はなんだかんだでIDOMのビジネスクリエイター職という、かなり貴重な地位を与えてもらえたので、その役割に恥じないような行動をこれから心がけていきたいと思う。
難しい言葉だけど、難しい概念を1つの言葉で言い表してしまえる美しい言葉。
胸に刻み込もう。